生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする,人間中心の施設。
『新明解国語辞典』の四版における「動物園」の語釈です。
当然、方々からの苦情が相次いだらしく、以降では ”啓蒙を兼ねた娯楽施設” と、面影を遺しながらもマイルドな表現へと改訂されることになりました。
一般向けの国語辞典としては著しく業界への配慮に欠けてはいますが、今読んでも感服の一言です。
よくもまあ動物園の闇の部分だけを摘み出して、余すことなく言語化できたものだな、と。
何ゆえ「動物園」の語釈だけをこんなに過激にしたのかは思い知るところではありませんが、辞書というのも編纂者の思想が存分に折り込められている書物であるのだなと冷静に考えさせられます。(とはいえ『新明解国語辞典』は権威のある立派な書物であることは間違いありませんが…。)
今日は動物の名前を含む慣用句を紹介。その由来も探ってみました。
目次
猫ばば
悪行をしなかったふりをすること。そこから、落とし物を拾って自分のものにしてしまうことを表すようになった。
漢字で書くと”猫糞”となる。「猫糞を決め込む」という形で使われることが多い。
漢字の通り、猫のフンのことである。猫はフンをした後、すまし顔をしながら後ろ脚で砂をかける様子からこう言われるようになった。
いたちごっこ
両者同じことを繰り返し、らちが明かないこと。
いたちごっことは、子どものお遊戯の一つ。
相手の手の甲をつねり、その上に自分の手を上に重ねるということを交互に繰り返すネヴァーエンディングストーリー。飽きた方が負けである。
転じて、両者同じことの繰り返しで際限がないことを指すようになった。
「ねずみごっこ」ともいう。
同じ穴の狢(おあじあなのむじな)
無関係に見えて実は同類であること。
狢とはアナグマのことであるが、タヌキも同じような毛色をしており、穴に入って生活をしていることから。
使い勝手がよく、一生のうちに何回かは使う機会が訪れる慣用句。
「おめぇも同類だよ!!」と、他者に投げかけることもできれば、自身のこれまでの生き方を顧みて、「結局はあいつと同類だったんだな…」と反省しているときに使えることも。
たとえば、あなたが誰か批判の対象にしている人がいるとします。あなたはその人と同じ穴の狢である可能性が高いです。
主に悪いことの喩えで使われるのは、狢やタヌキが持つ陰気な印象からでしょうか。
野次馬(やじうま)
面白半分に騒ぎ立てる役立たず。
老いた馬を表す「親父馬(おやじうま)」が元だとする説が有力。
老いた馬は仕事の役に立たず、ヒヒンと嘶(いななく)くだけの厄介者になり果てるという様子から。
「やじ」を”野次”としたのは、当て字。
「野次る」や「野次を飛ばす」などは、その後にできた言葉である。
烏合の衆(うごうのしゅう)
規律がなくまとまりのない集団。”烏”とはカラスのこと。
カラスの群れの無秩序で統率が取れていない様子から。
寄せ集めで統率がとれていない組織を揶揄したり自嘲したりするときに使う言葉。
組織が機能していないだけで、とくに個々の能力が劣っていることをわけではない点には留意されたい。
とくに際立った能力を持たない人の集まりを言う場合は、「有象無象(うぞうむぞう)」という四字熟語が近い気がします。
ーーーーーーーーーーーーーー
他にも動物の名を含む慣用句は多く存在するので、また紹介できればなと思います。
以上。