以前、四季の中でどれが一番好きかという話題で、私は秋が一番と書いたと思うのですが、それは今も変わっておりません。
視覚では山々の紅葉、聴覚ではスズムシやコオロギの鳴き声が秋の呼物看板ですが、味覚といえばやはり秋刀魚(サンマ)でしょう。
ポン酢か醤油で大根おろしと一緒に食べるのが王道かつ唯一無二。ワタも目ん玉も残さないのが個人的流儀。
とても美味しい。
ところがどっこい、いつぞやは一尾98円そこらで店頭に並べられていたものが、今や高級魚と相成ってしまいました。
”失ってから気づく”とはよく言ったものですが、何故あの頃は安く秋刀魚を食べられて当然と思っていたのでしょう。もっと感謝して味を噛み締めていればよかったと。
秋刀魚だけではありません。鰯(イワシ)や鱈(タラ)なども、あと数年したら高級魚になっているかもしれません。
いや、高級どころか、幾ら積んでも食べることができなくなることも考えられます。
何事も…移ろいゆく…今を深く心に刻み込んで…。
…ということを、この秋という季節に考えずには居られません。
さて、今日も前回の続きです。
礪行(れいこう)
自分の行いを立派にしようと努力すること。
”礪”はみがくこと。
同音同義の「励行」という熟語もあるが、語意に大差はないと考えてよい(と思います)。
河山帯礪(かざんたいれい)
永久に変わることのない誓約のたとえ。そこから、国が長らく安泰であること。
”河山”は、中国にある泰山と黄河のこと。たとえ黄河が帯のように細くなり、泰山が礪(みが)かれて平らになろうが、決して変わらないという固い誓いのこと。
畢生(ひっせい)
一生涯。人生が終わるまでのあいだ。
”畢”には終わりという意味があり、畢(お)わるといった訓読みもできる。
”畢生の大作”といえば、その人の生涯で最も大規模で優れた作品のこと。
「『ドグラ・マグラ』は夢野久作畢生の大作だ。」
蚤起(そうき)
早起き。
朝早くに起床すること。
”蚤”とは動物の血を吸うことで有名なあの害虫のノミのことだが、「はやい」「つとに」という意味もある。
この蚤という字、点々の位置がややこしいので大きめのフォントで載せておきます。
蚤
蚤寝妟起(そうしんあんき)という四字熟語も存在。
早く寝て遅くに起きることだが、主に幼い子どもにありがちな様子を述べたもの。”妟”はおそいこと。
鬱勃(うつぼつ)
気力が盛んに湧き出てくる様子。
”鬱”は「ふさぐ」「おおう」などという意味を持ち、精神的な病名にも使われる漢字のイメージがあるが、「にわかに」「わきおこる」という意味を持つ”勃”とくっ付くことにより、内にこもっていたものが一斉に吹き出ることを表す熟語になる。
放縦(ほうじゅう)
思いのままに振る舞うこと。
”放”は、「開放」「放任」など、比較的意味が捉えやすいが、”縦”はタテ・ヨコのタテだけでなく、「容認する」「解き放つ」といった意味もある。つまり、似た意味の漢字二つをくっつけて強調する熟語。
「縦(ほしいままに)す」などと訓読みすることもでき、漢文の書き下し文でも時折見かけた記憶があるかもしれません。
類義語は「恣横(しおう)」。これらを繋げた放縦恣横(ほうじゅうしおう)という四字熟語も存在する。意味は勿論、勝手気ままのわがまま放題の状態。
退嬰(たいえい)
新しいことをする意欲がない。
「退嬰的」という形で使われることが多い。「保守」や「保守的」とほぼ同義であるが、より消極的な印象が付き纏う。
対義語は「進取(しんしゅ)」。
大胆に進んで物事に取り組むこと。
「進取果敢」「進取創造」など、企業理念や教育現場でのスローガンなどで掲げられることがあるかもしれない。
――――――――――――――
以上、漢検準一級レベルの二字熟語(その3)でした。
一旦、このシリーズはこれで終わりでございます。
また更新頑張って参ります。
有難うございました。