長期間休止してしまい、大変申し訳ございません。
生存しています。今後少しずつ頻度を上げて参ります。
久々に投じる記事は「覚えやすい四字熟語」について。
幾つかまとめてみます。
使う機会の無い言葉なんて、覚える意味がないと言われるかもしれませんが、確かにそれはその通りかもしれません。
しかし、そのような言葉はかつて作られ、著名な書物の中で使われ、今もなお存在しています。
その事実があることを鑑みると、必ずしも現代に通じるとは言い難くも、人生をよりよく生きるためのヒントが隠されているのではないでしょうか。
完全に覚えられなくとも、「聞いた記憶がある」程度まで持っていければ充分です。
まあ見てってくださいよ。
飛鷹走狗(ひようそうく)
狩りをすること。
鷹(タカ)を飛ばし、狗(イヌ)を走らせることから。
出典は『後漢書』袁術伝。
かつては鷹や猟犬を使ってウサギやイタチなどの小動物を捕まえていたらしいです。
また、犬も朋輩鷹も朋輩という言葉があります。これは、地位・役割が違っても、同じ主人に仕える者同士であるということ。犬は追い役、鷹は捕獲役。
「何かと突っかかってきて鬱陶しいアイツ。でも俺と同じ経験をしてるからなあ…。」などと、自分と境遇が重なればシンパシーが湧いてしまうあの現象。
”当事者の会”の人たちが意気投合するみたいなものですかね。
披星戴月(ひせいたいげつ)
早朝から深夜まで精一杯仕事に取り組むこと。
”披星”は星をかぶるということで、夜明け前の意。(中国語では、”披”は「被る」の意味を持っているそうです。)
”戴月”は月をいただくということで、真夜中の意。
「星をかぶり月をいただく」…ということですが、”星をかぶる”はなかなか難しいですね。日の出とともに空が明るくなり星の光が消えていく様子を、”星々が頭上に降り注ぐ”と連想したのでしょうか。
関連語句:
昼夜兼行(ちゅうやけんこう)
昼も夜も休みなく続けて行うこと。
「夜を日に継いで」などとも言いますね。
玩物喪志(がんぶつそうし)
遊んでばかりで本業がおろそかになること。
”物を玩(モテアソ)べば志を喪(ウシナ)う”と訓読。
必要のないことに心が囚われてしまい、本来進むべき道から逸れてしまうこと。
「何かと娯楽に溢れた現代は、玩物喪志に陥りがちだ。」
関連語句:
玩人喪徳(がんじんそうとく)
他人を侮ると、自身の品性を損なうことになる。
中国の歴史書『書経』では、”玩人喪徳、玩物喪志” と、並列で記されている。
用管窺天(ようかんきてん)
視野が狭く見識に欠けること。
”管(クダ)を用いて天を窺(ウカガ)う”と訓読。
管を通して覗いても、狭い範囲しか見ることができない。つまり、物事の僅かな部分しか見えていないということ。また、そうであるにもかかわらず、誤った判断を下してしまうこと。
関連語句:
葦の髄から天井を覗く(よしのずいからてんじょうをのぞく)
用管窺天の類義語。
葦の茎の管を通して天井を見て、それが天井の全てだと思い込んでいる様である というたとえ。
”葦”は、「人間は考える葦(あし)である。」の”葦”ですが、「アシ」が”悪し”に通ずるのを嫌って「ヨシ」と呼ばれることが今では多いみたいです。
臨淵羨魚(りんえんせんぎょ)
望みだけでは願いは叶えられない。
”淵(フチ)に臨(ノゾ)みて魚(ウオ)を羨(ウラヤ)む”と訓読。
池の淵で眺めているだけでは、いつまで経っても魚は捕まえられない。
目標達成には、適切な手段を取ることが必要だということだ。
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以上、覚えやすい(?)四字熟語でした。
長らく文をしたためる習慣から離れていたため、言葉をひねり出すのに労力を要しました。脳に鈍痛が響き渡っているようです。まさに錆びついているといった感じです。
生きとし生けるものは、置かれている環境に適応していく存在なので、使われない機能が鈍化していくのはごく自然なことです。致し方ない。
また、適応というのは何も厳しい環境に対してのみ起こるものではなく、ぬるま湯に浸かっていても起こるのです。「快楽適応」というものです。これが本当におそろしい。
この快楽適応を繰り返した結果、快楽を求め続けて日々延々と彷徨うことになるのです。際限なく求め続ける。まさに生きるゾンビ。
私は「快楽適応」だけは起こさぬよう駑馬に鞭打って必死にもがいて参ります。
インターネットは誘惑の多い世界です。一つページを切り替えれば情報の渦に飲み込まれてしまいます。玩物喪志に陥らない様、皆様もお気を付けください。