日本語仙人の難しい日本語

漢字の読み書き、常套句、ことわざや格言、間違えやすい言葉―。中・上級レベルの日本語を紹介。

トリビアの種「80歳以上のお年寄りが一番嘘だと思うことわざ」

 テレビ番組『トリビアの泉』の”トリビアの種”のコーナーで、「これは嘘だと思うことわざで一番多いものは何」という様なものがあったのを思い出しました。

 

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ふと気になって調べてみたところ、流石は当時超人気だった高視聴率番組。

ネット上に大量の記録が残っており、容易く情報を手に入れることができました。

 

正しくは、『80歳以上のお年寄りが一番嘘だと思うことわざは何』でした。

調査結果は以下の通りでした。

 

10位 早起きは三文の徳

9位 残り物には福がある

8位 三人寄れば文殊の知恵

7位 好きこそものの上手なれ

6位 長い物には巻かれろ

5位 石の上にも三年

4位 金は天下の回りもの

3位 渡る世間に鬼はない

2位 老いては子に従え

1位 果報は寝て待て

*1

 

人生経験の多い2000人のお年寄りの方々への調査なので、説得力は申し分ないでしょうとのことです。

 

調査結果は大方同意できますが、個人的に納得いかないものもあるでしょう。

私の所感を述べていこうかと思います。

 

 

10位 早起きは三文の得(13人/2000人)

意味:早起きをすれば、わずかだが利益があるものだ

 

「早起きは三文の」と漢字を充てるのが一般的。

ちなみに三文は現在の貨幣価値でいうと、100円に満たないほどだそう。

調査対象は80歳以上の高齢者。多くは仕事をリタイアされているので、特に時間に追われる必要もないということでしょうね。

 

私としては、早起きは三文以上の得と考えます。

起床時間が遅くなればなるほど、やろうと思っていたこともできなくなりますから…。

 

だからといって、早起きができるかどうかは全く別の問題なのですが。

 

 

9位 残り物には福がある(18人/2000人)

意味:他人の取り残しには思いがけず良いものがあるということ

 

私は競争が苦手で、残り物から選ぶ境遇に置かれることが多い為、このことわざは信じるようにしています。

山高きが故に貴からず。外面だけ良くて中身が伴っていないものばかりが先に選ばれ、ボロは纏えど心は錦、そんなものが取り残されているという淡い期待を絶やしません。

 

 

8位 三人寄れば文殊の知恵(21人/2000人)

意味:たとえ凡人でも3人集まれば、良いアイデアが生まれるものである

 

目的が一致した者同士が真剣に話し合えば、小なりとも何かしらの実りはあるような気がするので、全否定はできないといったところ。ただ、”文殊の知恵”というのは大仰な表現だと思います。

 

このことわざに対し、愚か者が3人集まったところでどうにもならないという意味の、三人寄っても下種は下種という返しがあります。

 

 

7位 好きこそ物の上手なれ(33人/2000人)

意味:好きなことにはおのずと熱中できるので、その上達が早いということ

 

これに関しては、大きく意見が二分しそうではあります。

人口に膾炙していることわざだということもあり、”本当だと思うことわざ”にも上位にランクインしてくるような気がします。

実際、番組司会者の3名(タモリさん・八嶋さん・高橋さん)も、この仕事も好きでやっているとおっしゃっていました。

 

ただ、年齢を重ね運動機能が低下することにより、やりたくてもできないことが増えて来るのでしょう。

近所にプロレス好きのおばあさんがかつていましたが、「あたしも男で若けりゃ絶対にプロレスをやっていた。」とつぶやいていたのを思い出します。

また、”上手”の領域に達するには、好きであることだけでは足りません。何かそれに加えて必要なことがあるのでしょう。

 

 

6位 長い物には巻かれろ(41人/2000人)

意味:権力のある者には、おとなしく従っておいた方がよいということ

 

こちらもおそらく意見が大きく二分することわざの一つ。

出る杭は打たれるなどともいいますし、周りに合わせて行動するほうが面倒なことに巻き込まれずに済むことが多いです。しかし、意見も言えず行動も制限された地位にとどまるものも息苦しかったりします。

時と場合によりますが、命あっての物種。私は長いものに巻かれることを選んでしまう気がします。

 

 

5位 石の上にも三年(49人/2000人)

意味:冷たい石も三年座り続ければ暖まるように、辛抱を続ければ必ず事態が好転する

 

辛抱を続けたからといってどうにもならない現実もあります。

また、三年ぽっちじゃどうにもならんという厳しい意見も出てきそうです。

 

 

4位 金は天下の回り物(57人/2000人)

意味:お金は一定の場所に留まらず、常に世の中を巡っている

 

貧しい者も懸命に働けば大金をつかむチャンスがあり、豊かな者も油断をするとそれを失うことがあるという両者への戒めの文句

天下=世の中

 

実際に金銭は世の中を巡ってはいるのでしょうけれど、細かく見れば、ところどころで堰き止められていたり、あるところには流れてこなかったりと、その通り路は平坦で滑らかとは限らないでしょう。

 

 

3位 渡る世間に鬼はない(68人/2000人)

意味:世の中は無情な人が多いように思えるが、存外親切な人も多いものである

 

悪事は千里を走りますし、100人に1人でもおかしな人が居たら、世の中は鬼が蔓延っていると錯誤してしまうものです。

実際に無情な人はそんなにはいないと思いますが…、これを嘘だとおっしゃる方は、他人に裏切られ、傷つけられるような大変な人生を経験されてきたのでしょうか。

 

このことわざよりも、『渡る世間は鬼ばかり』という長編テレビドラマのタイトルのほうがよく耳にしますね。

 

 

2位 老いては子に従え(81人/2000人)

歳を取ったら子どもの意見に耳を傾けたほうがよい

 

誰からも意見されることなく、自分の好きなように生きたいという人は多いでしょう。その気持ちはわかります。

ただ、時代に即した生き方をするには、若い世代の意見を取り入れることも大事です。

齢10に満たない子どもの片言隻句から学べることも多いものです。

 

 

1位 果報は寝て待て(96人/2000人)

幸福の訪れは人の力じゃどうにもできない。焦らず待て

 

果報」とは、前世での行いの結果、今世で受けることになる報いのこと

2000人のうち96人ものお年寄りがこのことわざを一番間違っている、嘘だと回答したようです。かなりの割合ですね。

 

”寝て待て”とありますが、誤解を生みやすい表現ではあります。

ただボーっとしていろということではなく、どうあがこうが、その報い(善も悪も)を受けることになるから覚悟せよ!と言っているのだと思います。

 

当然、寝ているだけじゃあどうにもなりません。

棚から牡丹餅を期待してくいぜを守っていても無為に時間を食うだけです。

 

天命を尽くして人事を待つ。やるべきことをしっかりとやってきた人がその不安や焦りを抑える為に思い出すことわざであり、何もしていない人が言い訳として使うべきではないということですね。

 

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さて、長くなりましたが、以上でございます。

 

天は二物を与えず」あたりは上位にランクインしていそうな気がするのですが、10位以内には入っていませんでしたね。

 

どのことわざも、万人に当てはまるものではありません。

その時々に応じて、戒め、慰め、励ましなど、自分の都合の良い解釈に仕立て上げる材料として思い出すものだと考えておくのが良いと思います。

 

これとは反対に、「80歳以上のお年寄りが一番本当だと思うことわざ」というのも、結果がどうなるか気になります。

*1:『トリビアの種:「80歳以上のお年寄りが嘘だと思うことわざは○○」』

動物の名を含む慣用句とその由来

生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする,人間中心の施設。

新明解国語辞典』の四版における「動物園」の語釈です。

 

当然、方々からの苦情が相次いだらしく、以降では ”啓蒙を兼ねた娯楽施設” と、面影を遺しながらもマイルドな表現へと改訂されることになりました。

 

一般向けの国語辞典としては著しく業界への配慮に欠けてはいますが、今読んでも感服の一言です。

よくもまあ動物園の闇の部分だけを摘み出して、余すことなく言語化できたものだな、と。

 

何ゆえ「動物園」の語釈だけをこんなに過激にしたのかは思い知るところではありませんが、辞書というのも編纂者の思想が存分に折り込められている書物であるのだなと冷静に考えさせられます。(とはいえ『新明解国語辞典』は権威のある立派な書物であることは間違いありませんが…。)

 

今日は動物の名前を含む慣用句を紹介。その由来も探ってみました。

 

目次

 

猫ばば

悪行をしなかったふりをすること。そこから、落とし物を拾って自分のものにしてしまうことを表すようになった。

漢字で書くと”猫糞”となる。「猫糞を決め込む」という形で使われることが多い。

漢字の通り、猫のフンのことである。猫はフンをした後、すまし顔をしながら後ろ脚で砂をかける様子からこう言われるようになった。

 

 

いたちごっこ

両者同じことを繰り返し、らちが明かないこと。

 

いたちごっことは、子どものお遊戯の一つ。

相手の手の甲をつねり、その上に自分の手を上に重ねるということを交互に繰り返すネヴァーエンディングストーリー。飽きた方が負けである。

転じて、両者同じことの繰り返しで際限がないことを指すようになった。

 

「ねずみごっこ」ともいう。

 

 

同じ穴の狢(おあじあなのむじな)

無関係に見えて実は同類であること

狢とはアナグマのことであるが、タヌキも同じような毛色をしており、穴に入って生活をしていることから

使い勝手がよく、一生のうちに何回かは使う機会が訪れる慣用句。

「おめぇも同類だよ!!」と、他者に投げかけることもできれば、自身のこれまでの生き方を顧みて、「結局はあいつと同類だったんだな…」と反省しているときに使えることも。

たとえば、あなたが誰か批判の対象にしている人がいるとします。あなたはその人と同じ穴の狢である可能性が高いです。

 

主に悪いことの喩えで使われるのは、狢やタヌキが持つ陰気な印象からでしょうか。

 

 

野次馬(やじうま)

面白半分に騒ぎ立てる役立たず

老いた馬を表す「親父馬(おやじうま)」が元だとする説が有力。

老いた馬は仕事の役に立たず、ヒヒンと嘶(いななく)くだけの厄介者になり果てるという様子から。

「やじ」を”野次”としたのは、当て字。

「野次る」や「野次を飛ばす」などは、その後にできた言葉である。

 

 

烏合の衆(うごうのしゅう)

規律がなくまとまりのない集団。”烏”とはカラスのこと。

カラスの群れの無秩序で統率が取れていない様子から

寄せ集めで統率がとれていない組織を揶揄したり自嘲したりするときに使う言葉。

組織が機能していないだけで、とくに個々の能力が劣っていることをわけではない点には留意されたい。

とくに際立った能力を持たない人の集まりを言う場合は、「有象無象(うぞうむぞう)」という四字熟語が近い気がします。

 

 

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他にも動物の名を含む慣用句は多く存在するので、また紹介できればなと思います。

以上。

 

「鬼」から始まることわざ5選

10年ほど前、探偵ナイトスクープで「ことわざバトルに勝ちたい」という依頼があった回を思い出しました。
ことわざバトルとは、自分の知っていることわざを交互に言い合い、言えなくなったほうが負けという単純なもの。そのことわざバトルがものすごく強くチャンピオンと呼ばれている友達(同じ中学生)がいて、それに勝ちたいがどうすればいいでしょうというのが依頼でした。
探偵は、鬼から始まることわざが多いことに目をつけ、その”鬼シリーズ”を覚え抜くという作戦に出ます。
本戦当日、番組の力により大層な会場で行われたことわざバトル。依頼者の”鬼シリーズ”が炸裂したものの、結果は敗退。ただ依頼者は、挑戦相手のチャンピオンになかなかやるなと言わしめるほどの健闘をしました。

…記憶頼りですが、そんな内容だったと思います。

その時に登場した鬼シリーズを思い出すことはできませんが、中には普段聞かないようなマイナーなものも多くあったという記憶があります。

来年の事を言えば鬼が笑うと言いますが、過去を振り返ることで笑いものになることは無いのでしょうか。

今日は「鬼」から始まることわざを紹介。

目次

鬼も十八番茶も出花(おにもじゅうはちばんちゃもでばな)

どんなものにも盛りの時があるということ
醜い鬼でも年頃になるとそれなりに美しくなり、安い番茶も淹れたばかりなら香りがよいことから。

薊の花も一盛りという言い方もある。

鬼瓦にも化粧(おにがわらにもけしょう)

器量が悪くとも化粧をすれば見目好くはなるということ
同じく「鬼」から始まる関連のことわざを紹介。鬼瓦とは、瓦屋根の端に魔除けとして設置される装飾。とても怖い。
特に、北向きの鬼瓦は凄まじいしかめ面をしている。
つまらぬ者でも、着飾れば立派に見えてしまうという馬子にも衣裳と同義。

鬼に金棒(おににかなぼう)

もともと強いものにさらに強さが加わることのたとえ
みんな知ってる。それゆえに「○○(人とか動物)に××(武器など)」みたく、現代風にアレンジされたものが無数に生み出されているが、これ以上にしっくりくる言い回しが他に無いのがすごいところ。

・虎に翼(とらにつばさ) ・獅子に鰭(ししにひれ)
意味は上に同じ。

鬼に瘤を取られる(おににこぶをとられる)

損害を受けたようで実は利益を被ったことのたとえ
『宇治拾遺物語』に収録されている、”こぶとり爺さん”の話こと『鬼に瘤取らるる事』が元になったことわざ。
善い方の爺さんは、翌日の宴会にも出席させるための約束手形として鬼に瘤を取られてしまいますが、本人にとっては好都合でした。悪い方の爺さんはそれを羨み代わりに宴会へ出ますが、お粗末な歌や踊りを披露してしまいます。それを見た鬼は呆れて瘤を返してしまいます。
鬼の認識では瘤は”爺さんの大切なもの”でしたが、悪い方の爺さんにとっては大きな損害を受ける形になってしまいました。
『鬼に瘤取らるる事』では ”物羨みはせまじきことなりとか” (=むやみに人を羨むことはいけないんだなあ)と、羨望を戒める一文で締めくくられています。

これとは全く反対の意味で、”鬼に瘤を返される”ということわざがあっても面白そうです。

鬼の霍乱(おにのかくらん)

丈夫な人が珍しく体調を崩すことのたとえ
”霍乱”とは、今でいう熱中症のような症状全般のこと。他にも食あたりのこともいうようです。

鬼とはいっても、醜いもの・おそろしいもののたとえではなく、頑強な人のこと。
”鬼も十八番茶も出花”の「鬼」ではなく、”鬼に金棒”の「鬼」であることに注意されたい。

鬼千匹(おにせんびき)

小姑のこと。
小姑は鬼千匹にあたるが元のことわざの形。嫁にとって小姑は鬼千匹に比肩するほどの厄介者であるということ。
小姑(こじゅうと・こじゅうとめ)は夫または妻の姉妹のことだが、ここでは夫の姉妹のことを表す。
今でこそ価値観は変わってきているものの、「嫁ぐ」という認識があった昔は、まだ家に残っている女性は”未婚の売れ残り”というレッテル張りがされていました。そのため、嫁として入ってくる”勝ち組”の女性は小姑にとって嫉妬や嫌がらせの対象となるわけです。

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Googleで”小姑”と入力したときのサジェスト

これに加えて姑も敵に回り、また場合によっては舅や小舅ともうまく行かない状況で夫が味方になってくれないとなると、妻は孤軍奮闘を強いられます。


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”鬼シリーズ”いかがでしたでしょうか。
探偵ナイトスクープのことわざバトルでは、他にも「骨折り損の草臥れ儲け」や「十で神童、十五で才子、二十すぎれば只の人」など、わりと深みのあることわざが飛び交っていました。

特に捻りもないルールでしたが、それを機に国語に興味を持ってもらえたらいいなと思いながらテレビを見ていたような気がします。

それでは、さようなら。

「舌」を含む慣用句

 甘い食べ物より酒が好きな人のことを”辛党(からとう)”と言いますが、お酒って辛いか?と思ってしまいます。

塩辛い食べ物が酒とよく合うからでしょうか。

同じ理由で、ケーキやパンに合うコーヒーが好きな人は”甘党”と呼ばれているのでしょう。

しかし、ジュースのようなお酒を飲む人が”辛党”で、堪らなく濃いエスプレッソをがぶがぶと飲む人が”甘党”というのは、なんだか腑に落ちないですが。

今日は舌を含む慣用句を紹介。

私たちが食事を楽しめるのは、舌があってこそのものでございましょう。

 

目次

 

舌先三寸(したさきさんずん)

うわべだけで心がこもっていない言葉

舌は言葉のこと。”寸”は長さの単位で、一寸がおよそ3㎝、三寸だと9㎝で、相当長い舌だな!ということになるが、”三寸”はちっぽけで価値がないことを表す喩え

つまり舌(=言葉)の先が三寸しかない(=短い)ということで、内容の無い薄っぺらな発言という意味に。

 

二枚舌(にまいじた)

嘘をつくこと。また、よく噓をつく人

ここでの”舌”も言葉の意。言葉巧みに人を欺く悪い人間に対してよく使う。

よく、”嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる”といいますが、物理的に痛みを与えて懲らしめるというよりは、比喩的に「余計なことは喋らせない」「事実に反するいい加減な噂話の排除」といった死後の世界の秩序を保つための統制なんじゃないかなと思ったりもしています。二枚舌の人間は、当然舌を抜かれるでしょう。

 

舌が肥える(したがこえる)

味覚が贅沢になること味覚について感覚が鋭くなること

ここでの”舌”は、味覚のこと。

「美食家」「グルメ」など、他にもわかりやすく使いやすい言葉が出回っているので、そちらを積極的に使っていけばいいんじゃないかと思いますが、関連語句が面白いので同時に紹介します。

口が奢る(くちがおごる)

上の「舌が肥える」とほぼ同義だが、味覚が贅沢になることの意味合いが強くなります。高価な食事でないと満足できなくなった状態。良い意味ではまず使われない。

貧乏舌(びんぼうじた)

こちらは反対の意味を持つ言葉で、何を食べてもおいしく感じられる味覚を持った人のことを表します。「味音痴」ではあるかもしれませんが、同じものを食べてもより美味しく感じられるほうが、ある意味幸せだといえましょう。

 

舌を巻く(したをまく)

感心や驚きのあまり言葉が出ない様子

”舌”は言葉のことで、”巻く”には、「尻尾を巻く」「旗を巻く」とあるように、諦めて手を引いたり、降参したりするという意味があります。

どんな言葉も役に立たなくなった、ということで、相手に言い負かされて沈黙するという意味でも使われます。

 

筆舌に尽くし難い(ひつぜつにつくしがたい)

わりと難しい言葉群だが、人口に膾炙している慣用句の一つ。

意味はご存知の通り、程度がはなはだしく、文章や言葉や表現することが難しいということ。

”筆”は文章のことで、”舌”は言葉のこと。

筆紙(ひっし)に尽くしがたい

同様の意味なのでついでに。

筆紙”とは文章に書き表すこと。

書面で積極的に使うべきなのはこちらかもしれませんが、口頭で使っても(伝わりにくいことを除けば)特に問題は無いでしょう。

 

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以上、「舌」を含む慣用句 でした。

 

由来が面白い慣用句

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 日常で見聞きする何気ない言葉に対し、「あれ、これってなんでこう言うんだろう。」と疑問を持つことは、とても素敵な閃きです。

そんな閃きが降りてきたとしても、「何でだろうねえ」で払いのけてしまったり、「またあとで調べよう」と思いはするものの結局忘却の彼方にしまいこんでしまう、という勿体ないことが、これまでに幾つあったことやら。

 

ふとして上がってきたものは、同様にふと消えてしまうものです。

こういう時、自分というのが唯一にして最後の砦なのです。機会を逃せば、次にめぐり合うのはいったいいつの日になることやら。

 

 そこで”記録”することが大事になってくるわけです。

ふと浮かんだアイデアや疑問などをすぐにその場でノートに書き留めておくことは、是非とも身につけておきたい習慣の一つといえますね。

 

”ふと降りてきたアイデアをすぐにノートに書く習慣をつける”

これが、毎日続ける新年の目標として私が掲げたものの一つです。

 

今回は、そのノートからの出題でございます。

 

 

たわけ

おろかもの。考え方がふざけていること。

岐阜や愛知県のあたりでは、「ばか」や「あほ」よりも一般的に使われているのだとか。

「戯け」と漢字が充てられていますが、本来は「田分け」だそう。こうするとこの言葉の由来が見えてきます。

田分けとはおろかな財産相続の分割方法のことを言い、親から子へ、子から孫へ、孫から曾孫(ひまご)へ、曾孫から玄孫(やしゃご)へ… と、代が進むにつれて、田畑が狭小化していき収穫量が減りやがて家計が衰退してしまいます。

 

けりがつく

物事の決着がつくこと

「けり」とは、古文において、過去・詠嘆の意味を持つ助動詞の終止形。

和歌や俳句には「けり」で終わるものが多いことから。

 

ひょんなこと(から)

思いがけず。意外なきっかけで

「ひょんなことから異世界に転生した僕は~」「ひょんなことから耳かき棒をコレクションし始めた彼女は~」など、物語のあらすじなどで良く用いられる慣用句。

イスノキというヤドリギの一種が”ひょん”と呼ばれていて、それが大変に珍しいものだったため、”ひょんな”は、「偶然にも~、思いがけず~」を表すようになったと言われています。

 

うわばみ

大酒飲み

漢字表記は”蟒蛇”、または一字で””とする場合もある。

蟒蛇とはニシキヘビなどの大型の蛇の総称で、八岐大蛇(やまたのおろち)もこれに含まれます。八岐大蛇は日本神話でよく知られる通り、酒が大好物。「八塩折の酒」の痛飲により、討伐されてしまいます。

 

左利き

同じ”大酒飲み”を表す言葉として、こちらも紹介。

大工や鉱夫は右手に槌、左手にノミをもつことから、右手を「ツチテ」、左手を「ノミテ」と呼んでいたそうです。「ノミテ」→「飲み手」という駄洒落から、大酒飲みを「左利き」というようになりました。「左党」は、その派生。

 

つつがない

無事平穏である健康に過ごしていること

漢字表記にすると”恙無い”。この「恙」とは、病気や心配事のことを言います。

これが”無い”のですから、「何も憂いが無く、健康である」となるわけですね。

ダニの一種であるツツガムシの名前も、これが由来。このツツガムシに吸着されると、ツツガムシ病という危険な病に感染することがあります。

今では特効薬があり、早期に適切な処置を施せば軽快するそうですが、昔は”恙”という冠を背負うほどに厄介な虫だったというわけですね。

 

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以上、「由来が面白い慣用句」でした。

 

四季で山の表情が変わる

”山の色”といえば、どのような色(景色)が思い浮かぶでしょうか。

 

やわらかな芽吹きの緑を思い浮かべる人もいれば、快晴の下に青々と映える濃緑(こみどり)が思い浮かぶ人もいるでしょう。

中には、「いやいや、山の色といえば一面の銀世界だろう。」という人もいるかもしれません。

 

想い描いた”山の色”、それに照応する季節はいつ頃でしょうか。

 

憶測ですが、濃緑を思い浮かべた人は夏が、銀世界を思い浮かべた人は冬が、潜在的に好きであるといえるのではないでしょうか。

 

因みに私は、朱・黄・橙など、幾つもの色が思い浮かびます。

季節でいえば秋のよそおいですね。そうかもしれません。

 

さて、本日は「好きな季節は?」と訊かれても、そんなの難しくて答えられないよという悩める同志に四つの言葉をお送りします。僅かなヒントにでもなれば幸いです。

 

出典は郭煕(かくき)の画論『臥遊録(がゆうろく)』に記載された詩。

後に俳句で枕詞として引用されたのがきっかけで以下の四つが生まれたそうです。

 

山笑う(やまわらう)

春の表情。

『臥遊録』では、”春山淡冶(たんや)にして笑うが如し”。

「淡冶」とは、あっさりとしていて優美であること

くっきりとした濃い色というよりは、淡くどっちつかずな奥ゆかしい色味のことを表します。

春が好きだという人は、何でもかんでも白黒をつけたがるのではなく、グレーなものはグレーとして認識する柔軟な思考を持っている人だと言えるのではないでしょうか。

”笑う”とありますが、腹を抱えてガハハではなく、優しいほほ笑みと捉えるのが適切でしょう。

 

山滴る(やましたたる)

夏の表情。

『臥遊録』では、”夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如し”。

「蒼翠」とは、樹木が青々としていること

 

強い日差しを浴びながら、ギラギラとしたエネルギーに満ち溢れた情景が思い浮かびます。

美男美女に対し、”水も滴る…”などという形容もされたりしますが、瑞々しく活気あふれている様子を”滴る”と筆舌するのは、なんとも憎い表現ですね。

 

山粧う(やまよそおう)

秋の表情。

『臥遊録』では、”明浄(めいじょう)にして粧うが如し”。

「明浄」とは、清く澄みきったさま

色とりどりによそおいながらも、随所に枯れた味わいが垣間見える秋の山というのは、何とも言えぬ魅力があります。

 

風吹けば 落つるもみぢ葉 水清み 散らぬ影さへ 底に見えつつ”(凡河内躬恒)

嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり”(能因法師)

 

秋の情景がありありと思い浮かぶ短歌といえば、上の二首でしょうか。

一方で、

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる”(藤原敏行)

 

という、音の聞こえる情景を詠んだ秋の歌も多く存在します。

稲穂が風にそよぐ音や、朽葉がからからと地面を引っ掻く音というのは、秋特有の情景といってもいいでしょう。

 

山眠る(やまねむる)

冬の表情。

『臥遊録』では、”冬山惨淡(さんたん)として眠るが如し

惨痰とは、ぼんやりと薄暗い様子。 ※「惨憺」ではない。

 

冬山登山の経験はありませんが、辺りはしんとしていて、冬の寒さも相まって心のわだかまりが解れていく感覚があるそうです。虫の鳴き声や鳥の囀(さえず)りが聞こえない山というのも、冬特有の景色といえますね。

四季の中で冬が好きという人はかなり少数派だとは思いますが、静けさを好む春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)な人と為りが見えて来そうです。

 

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「春夏秋冬、どれが一番好きですか?」

「山の色といえば?」

単純な問いに見えて、実はかなり心の奥底へと踏み込む質問かもしれませんね。

 

それでは、この辺で。

 

 

幼なじみを表す言葉

「故人」といえば、亡くなった人のことをいいますが、「古くからの友人」という意味もあります。故郷、縁故などの”故”です。

李白の代表的な詩『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』では、故人西の方黄鶴楼を辞し…(古くからの友人が西の黄鶴楼を去り…)という一節から始まります。学校の漢文の授業でやったのを覚えている方もおられるかもしれません。

今では専ら「亡くなった人」のことで使われていますが、同じ表記でも文脈によって意味が変わるというのは、なかなかに頭を悩ます因子の1つです。
ここで、「ややこしいな」と思うか、「面白いな」と思えるかが、国語嫌い・国語好きの分かれ目になるのでしょうか。


今回は幼なじみを表す言葉を紹介。

竹馬之友(ちくばのとも)

幼い時分に共に竹馬で遊んだ仲。

出典は『晋書』。お互いに政治的なライバル関係にあった「桓温(かんおん)」と「殷浩(いんこう)」のエピソードが由来。
桓温は、「幼き頃、私が乗り捨てた竹馬を殷浩が後から使っていた。だから私の方が偉い!」というクソしょうもない主張をしたという故事から。
元々は、”幼いころからライバル関係にあった友人”という意味で使われていたのでしょうか。

騎竹の交わり(きちくのまじわり)

子どものころから親交がある友。

前項の「竹馬之友」の言い換え。
竹馬に乗って遊ぶとなれば、近所の公園で素足になって走り回るくらいの年齢と考えられます。
おそらく十歳にも満たないくらい。そのころから親交がある友人のことを指します。
今でもなお幼稚園では、園児が竹馬に乗って遊ぶという文化は残っているそうです。
足の親指と人差し指の間にマメをつくりながらも、必死に何度も何度も日が暮れるまで乗って遊んだという記憶は、かけがえのないものとして私の中でも生き続けています。

知己(ちき)

自分のことをよく知っており、理解してくれる友人。

己(おのれ)を知(し)るという、なんてことはないそのままの意味。ただ読み方に注意。
必ずしも、”幼なじみ”という意味を持つ言葉であるかというとそうではないのですが、ここは少しお許し願いたい。
というのも、「私の~年来の知己」などといった使い方をされることが多いから。
いや、そもそも日常において使われることなんて滅多にない言葉ではありますが…。
出番があるとしたら、結婚式の友人代表スピーチなどでしょうか。私はとても幼い大昔から彼(彼女)を知っていますよということを話に盛り込むことによって、多少のエッセンスは加わるでしょう。

筒井筒(つついづつ)

(異性の)幼なじみ。

”筒井筒井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見るざまに”

(井戸の囲いと測り比べた私の背丈も、あなたを見ない間にすっかり高くなってしまったようだ)

筒井筒(つついづつ)という響きに聞き覚えがある方は、上の一文が思い浮かんだことと思います。
ここでの「妹(いも)」は、兄弟姉妹関係の「いもうと」ではなく、「愛しきあなた」という意味。
ちなみに女性目線で男性を言う場合は「背(せ)」という言葉が使われます。

上記に対する返歌は、

”比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰が上ぐべき”
(あなたと長さを比べ合った私の振り分け髪も、肩を過ぎてしまいました。あなたでなくて誰がこの髪を結いあげるでしょうか)

出典は『伊勢物語』。
伊勢物語は、互いに惹かれ合っていた幼なじみの男女がやがて望み通りの結婚をするという内容のお話。

素敵ですね、是非覚えて頂きたいです。


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以上、「幼なじみを表す言葉」でした。
さようなら~。