”山の色”といえば、どのような色(景色)が思い浮かぶでしょうか。
やわらかな芽吹きの緑を思い浮かべる人もいれば、快晴の下に青々と映える濃緑(こみどり)が思い浮かぶ人もいるでしょう。
中には、「いやいや、山の色といえば一面の銀世界だろう。」という人もいるかもしれません。
想い描いた”山の色”、それに照応する季節はいつ頃でしょうか。
憶測ですが、濃緑を思い浮かべた人は夏が、銀世界を思い浮かべた人は冬が、潜在的に好きであるといえるのではないでしょうか。
因みに私は、朱・黄・橙など、幾つもの色が思い浮かびます。
季節でいえば秋のよそおいですね。そうかもしれません。
さて、本日は「好きな季節は?」と訊かれても、そんなの難しくて答えられないよという悩める同志に四つの言葉をお送りします。僅かなヒントにでもなれば幸いです。
出典は郭煕(かくき)の画論『臥遊録(がゆうろく)』に記載された詩。
後に俳句で枕詞として引用されたのがきっかけで以下の四つが生まれたそうです。
山笑う(やまわらう)
春の表情。
『臥遊録』では、”春山淡冶(たんや)にして笑うが如し”。
「淡冶」とは、あっさりとしていて優美であること。
くっきりとした濃い色というよりは、淡くどっちつかずな奥ゆかしい色味のことを表します。
春が好きだという人は、何でもかんでも白黒をつけたがるのではなく、グレーなものはグレーとして認識する柔軟な思考を持っている人だと言えるのではないでしょうか。
”笑う”とありますが、腹を抱えてガハハではなく、優しいほほ笑みと捉えるのが適切でしょう。
山滴る(やましたたる)
夏の表情。
『臥遊録』では、”夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如し”。
「蒼翠」とは、樹木が青々としていること。
強い日差しを浴びながら、ギラギラとしたエネルギーに満ち溢れた情景が思い浮かびます。
美男美女に対し、”水も滴る…”などという形容もされたりしますが、瑞々しく活気あふれている様子を”滴る”と筆舌するのは、なんとも憎い表現ですね。
山粧う(やまよそおう)
秋の表情。
『臥遊録』では、”山明浄(めいじょう)にして粧うが如し”。
「明浄」とは、清く澄みきったさま。
色とりどりによそおいながらも、随所に枯れた味わいが垣間見える秋の山というのは、何とも言えぬ魅力があります。
”風吹けば 落つるもみぢ葉 水清み 散らぬ影さへ 底に見えつつ”(凡河内躬恒)
”嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり”(能因法師)
秋の情景がありありと思い浮かぶ短歌といえば、上の二首でしょうか。
一方で、
”秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる”(藤原敏行)
という、音の聞こえる情景を詠んだ秋の歌も多く存在します。
稲穂が風にそよぐ音や、朽葉がからからと地面を引っ掻く音というのは、秋特有の情景といってもいいでしょう。
山眠る(やまねむる)
冬の表情。
『臥遊録』では、”冬山惨淡(さんたん)として眠るが如し”
惨痰とは、ぼんやりと薄暗い様子。 ※「惨憺」ではない。
冬山登山の経験はありませんが、辺りはしんとしていて、冬の寒さも相まって心のわだかまりが解れていく感覚があるそうです。虫の鳴き声や鳥の囀(さえず)りが聞こえない山というのも、冬特有の景色といえますね。
四季の中で冬が好きという人はかなり少数派だとは思いますが、静けさを好む春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)な人と為りが見えて来そうです。
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「春夏秋冬、どれが一番好きですか?」
「山の色といえば?」
単純な問いに見えて、実はかなり心の奥底へと踏み込む質問かもしれませんね。
それでは、この辺で。