日本語仙人の難しい日本語

漢字の読み書き、常套句、ことわざや格言、間違えやすい言葉―。中・上級レベルの日本語を紹介。

謙譲表現として利用したい言い回し

こんなブログをやっていると、いわゆる「日本語の乱れ」問題にやたらと厳格で、”我こそは日本語原理主義者だ!”みたいな印象を持たれているかもしれませんが、ら抜き言葉や若者言葉、過剰な略語、やたらと横文字を使いまくる風潮…等には比較的寛容だと自負しております。

言語というものは、社会潮流や時代のトレンドなどに合わせて生み出され、無駄なものは省かれ、合理的なものへと洗練されていく特性を持つものだと考えているので。

私自身も、「イメージ」「エピソード」「シチュエーション」等々、便利な横文字はよく使います。

 

ただ、どうしても生理的に受け付けない美しくないものが「今年の流行語」とかになることはあります。

日本語の持つ独特の奥ゆかしさに惹かれ、日本語を愛し深く勉強している人こそ何だか自分の聖域が侵されるようで腹立たしい気持ちになるのも理解できます。

とはいえ、自身が口から発する言葉は選べるわけですから、あまりとやかく言っても詮無い事だと思います。清濁併せ持つというのも言語の特性ではないでしょうか。

それに、つまらない言葉が一時的に流行ったとしても、数年後にはくっきり姿を消しているものです。

周りがどうであれ、あなたが美しい日本語を使い続ければよいのです。

泥中の蓮のごとく、周りが汚れている程にあなたは麗々しい存在足り得ます。

 

ところで、”言葉は生き物だ”という言い方をする人がいますが、あれはあれで変な表現だなと思います。

人類が地球上から滅亡した後も尚、幾多の言葉群がひらひらと生命活動を営んでいる様子が草葉の陰から認識されたならば、それは言葉が”生きている”といってもよさそうですが。

 

…さて、今日は謙譲表現として使える言い回しを紹介します。

 

 

下手の横好き(へたのよこずき)

下手なわりにその物事に熱心なこと。

横好き”とは、むやみに好んでいること。

自分の趣味などを褒められたときの返し方として、謙遜表現であるこの言葉を使うと良いかもしれません。

「好きこそものの上手なれ」の対になる言葉としてよく捉えられがちですが、物事の上達において、それが好きであることが第一条件という事実は違わないと思います。確かに向き・不向きはというものはありますが。

ずっと続けているのに、どうしようもなく下手!というようなことは、実際はそうはありません。大抵の物事において、それをやったことすらない素人の方が多いわけですから。

ただ、一般人より幾許か造詣が深いぶん、その分野におけるハイレベルな世界を見て自信をなくすということはよくあります。

 

不得意なのに、凝りもせずずっと続けている事、ありますか?

私は、あります。これです。

 

駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)

能力の無い者に能力以上のことを強いる。

多くは、自分が精一杯頑張ることを謙遜して言う場合に使われる。

駑馬”とはのろまな馬のこと。「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る」ということわざでも登場。

因みに、死屍に鞭打つ(ししにむちうつ)とは、既に人を亡くなった人を責めたり非難すること。

 

驥尾に付す(きびにふす)

優れた者に付き添っていれば、凡人でも功績をあげられることのたとえ。

驥尾”とは、一日に千里を駆ける名馬。

出典は『史記「伯夷伝」』

日蓮遺文の『立正安国論』にも、”蒼蠅(そうよう)、驥尾に付して万里を渡り~”という一節がある。

これの四字熟語バージョンは「蒼蠅驥尾(そうようきび)」。

つまり、”驥尾に付し”ているのはハエ。アオバエは一人では遠くまで飛べないが、名馬の尾にくっついていれば遠くまで行けるということから。

また、”蒼蠅”とは、権力者に媚びへつらい、その恩恵にあずかる小者。

 

「私に実力があったわけじゃなくて、あの人に付いて行った結果このようになれたんです。」というような意味合いだ。

 

馬齢を重ねる(ばれいをかさねる)

無駄に歳をとっていること。

自分の高齢を謙遜していうときに使う。

自身を謙遜する語として「犬」や「馬」が含まれることわざ・故事成語が幾つかあります。理由は諸説あるようですが、高齢の犬や馬は仕事の役に立たなくなるからだそうです。

何故「犬」と「馬」なのかは、単純に人類の生活において身近な動物だったからでしょう。

犬馬の労(けんばのろう)

他人の為に力を尽くすことを謙遜していう言葉。

「犬馬の労を厭わない」とは、”微力ながら喜んでお力添えします”ということ。

 

枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)

つまらないものでも、無いよりはよい。

枯れ木も山の景観として時に重要であることから。

パーティの招待を受けた時などに、「私なんかが行っても…。ただ、枯れ木も山の賑わいと言うし、出席させてもらいます。」と、謙譲表現として使うべきです。

招待をする側が、「枯れ木も山の賑わいと言いますし、あなたも参加してよ。」と言うのは、やはり相手に失礼。意味的には合っていても、”日本語の使い方が間違っている”というのはこのこと。

また、若者が自分を”枯れ木”と表現するのは猪口才だと思われる可能性があるので、比較的年配の人が使うのが安牌。

蟻も軍勢(ありもぐんぜい)

類義語。頼りない者でも戦力になるので、居ないよりはいた方がよいということ。

グンタイアリは強い。

 

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以上、「謙譲表現で利用したい言い回し」でした。

謙遜も行き過ぎると嫌味に聞こえたり、あらぬ誤解をも生みかねません。

自分を下げることばかり考えて相手を上げることおろそかにしないように気を付けたいですね。