(酒場放浪記ではありません。)
1月13日は成人の日でした。
近年の人口増減について云々語る気はありませんが、今年の新成人は122万人で、前年より3万人減だそうです。これからも暫くは減少の一途をたどるのでしょうか。
今年も御多分に漏れず、新成人の傍若無人な振る舞いで報道番組各社が賑わいをみせました。成人を迎えて早速実名を報道されてしまうとは、なんともお気の毒だと思ってしまいました。まさに自業自得というやつですが。
器物損壊・暴行など、いずれも酒に酔ったがために起こしてしまった事件だったみたいですね。まったく酒というものは(飲んでいる本人以外にとって)いつでも害悪な存在でしかない。
だた、「酒が人をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。」ということですから、遅かれ早かれ彼らはお縄にかかる運命だったのでしょう。
これから先、アルコールによって人生の表舞台から退かざるを得なくなってしまう人がどんどんと増えていきます。「篩(ふるい)にかけられる」というやつでしょうか。彼らはその第一号だったのでしょう。花の一区、スタート直後にはやくも棄権(DNS)。
仕様(しょう)もないことで人生を棒に振ることがないよう、くれぐれも気を付けてこの先の人生をしっかりと歩みたいものです。
さて、今回の主題でございます。
”適度な飲酒はどんな良薬よりも効果がある”という型破りな意味のことわざ(?)、「酒は百薬の長」は、一度はお聞きになったことがあると思います。
この言葉の存在を免罪符に、数多の人間が毎日アルコールを摂取し、(知らず知らずのうちに)健康寿命を縮めています。
おもに飲料メーカーが大々的に掲げているこの魔法の6文字ですが、抑々(そもそも)言い出した人間は誰なのでしょうか、何が出典なのでしょうか。
ありました。
当時、酒造を国家の管理下に置く政策が施され、それを広めるために”酒百薬之長”と伝えられたのです。国内で広めるための宣伝文句としての詔(みことのり)ですから、良く言うのは当たり前です。
かの有名な兼好法師の『徒然草』では、食貨志のこの一文を引用し、”百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ(百薬の長とはいうが、多くの病は酒が原因である)”と残したのですが、今では後が省かれてしまい、酒のことを良く言っている前半部分だけが一人歩きを始めてしまっています。
厚生労働省発表の「飲酒による死亡率のJカーブ」にもやや疑問が残ります。
これは、全くのまない人と比べて、少し飲む人のほうが死亡率が低いということを裏付けるデータです。しかし、「全く飲まない人」の中には、健康問題という理由があって飲まない(飲めない)人も多く含まれているはずです。重い疾患で後生あと僅かという方も「全く飲まない人」に含まれるわけですから、死亡率が高くなって当然でしょう。
アルコールに適量はなく、摂れば摂るほどに身体には悪影響だと私は考えています。
...とはいえ、酒は宴会などを盛り上げるためには欠かせない物です。これを飲むことが生きがいだという人も少なくないですから、その人たちから大事なものを奪おうという気は毛頭ありません。酩酊状態になって初めて得られる着想もあるでしょう。素敵な出会いもあるでしょう。
要は飲み方次第なのです。調節が大変難しい、かなり繊細なものです。