3週間ほど前に、おじいちゃん・おばあちゃんを、”グランパ””グランマ”と呼ぶ家族を立て続けに2世帯目撃しました。
実は今日も、また別の親子が「グランマが~」という会話をしているのを耳にしています。
つまり、これまで一度も遭遇しなかったものを、短期間に3回も見たということです。
最近のトレンドなのか?
それとも単なる偶然が重なっただけ…?
家族の形は色々あっていいと思いますし、グランパ・グランマ呼びも洒落ていてありだなぁ~とは思います。
しかし、
「お父さんのお父さん」
「お母さんのお父さん」
こういう呼び方はやめてあげて本当に…。
もし自分の孫にこんな呼ばれ方をされたら、私は…。
私は…そもそも自分の子すら居りませんので、そんな未来を心配する必要は全くありませんでした。
目に入れても痛くない
自分にとって甚だ愛しく、大切な存在であるというたとえとして用いられる。
小さな塵や埃が入っただけで目は痛むものだが、そこに入れたとしても痛くないというほどに孫は可愛いということ。
年寄りっ子は三文安い
祖父母に甘やかされて育った子は、根気がなくわがままな人間になりがちである。
三文とは「少しばかりの金額」のこと。”早起きは三文の徳”の”三文”である。大きくは違わないが、他と比較して少し差があるといった具合か。
…実際、”人による”としか言いようがないですが。
祖父母は孫を甘やかすとは言いますが、祖父母が孫の世話をするというのは、家庭事情が複雑で、むしろ人一倍辛酸を嘗めて来たということもあるでしょう。
関連:
祖母育ちは三百廉い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
児孫の為に美田を買わず(じそんのためにびでんをかわず)
財産を残すと、子孫はそれに頼って自立できなくなるので、かえって為にならない。
”美田”とはよく肥えた田。ここでは財産のたとえ。
子孫が安逸(あんいつ)をむさぼることを恐れた西郷隆盛の戒めの一節。
また、財産を残そうと考えている時点で、大きな志を遂げることはできないということでもあろう。
関連:
祖父は心労子は楽孫は乞食(じじはしんろうこはらくまごはこじき)
祖父が苦労し富を築くと、子はそのおかげで楽をする。孫は遊惰な生活に慣れきって財産を食いつぶし、やがて物乞いにまでなってしまう。
内孫より外孫(うちまごよりそとまご)
「内孫」とは、跡継ぎの息子の子で、「外孫」とは、嫁入りした娘の子。
外孫のほうをより可愛がる傾向があるというのがこのことわざの意味。
昔からの父系制度の在り方の是非や、本当に内孫より外孫なのかという議論はさておき、家の後継者として期待が大きい”内孫”よりも、直接的な関係が薄れる”外孫”のほうが気楽に愛情を注ぐことができるからでしょうか。
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父母には何度もどつき回された記憶がありますが、祖父母にきつく怒られたという記憶は全くありません。それどころか、お家に行く度にお小遣いを貰ってばかりいた気がします。
やはりおじいちゃん・おばあちゃんは、孫という特別な存在にはどうしても甘くなってしまうんでしょう。
日本語仙人:オトンやオカンがワシをどつきまわしていた様に、おじいやおばあも且つてはオトンやオカンをどつきまわしていたということじゃ。とても想像できんのう。
以上、「孫と祖父母のことわざ」でした。