勝ち目のない戦い。それが、避けられぬものだったら…?
実は私は大学の専攻が児童心理系でして、当時は保育園に実習に行ったりなどしていました。
様々な園児と触れ合う機会があったのですが、ある日、”ゆうま”くん(仮)が紙とペンを携えて私のもとへやってきて、曰く「”ゆうま”を漢字で書いて欲しい」と。
困ったものです。
当然、名簿なんて見たこともない。教室の壁にあった”自己紹介カード”の様なものも、全てひらがな記載。
ただでさえ邪魔をさせて貰っている分際で、多忙な保育士さんに手を止めて貰ってまで訊くわけにもいかない。
相手は所詮子どもだからと、「佑馬」でも「悠真」でも、そのように読める適当な漢字を書いてお茶を濁す手立てもありましたが、この子の御親族が千思万考の末に名付けたものを、そう易々と改変してしまうわけにはいかない。
それに、万に一つも間違ったその漢字を自分の名前として覚えてしまったら一大事であります。
剰え、”未来の日本語仙人”とも成り得る素質を持っていたりしたら…?
嬉々としてそのメモを参考に、「誤った」自分の名前を漢字で書く練習を始めてしまうことだってあります。
思案に暮れた私の答えは、「ごめん、分からない。」でした。
その間、おそらく僅か5秒程度。
「えっ、オトナなのに分からないの~?」そう、大人なのに分からないのです。
「カンジ苦手なの~?」そう、漢字が苦手なのです。
降伏を選びました。
これは、正しい敗北。
私はその時、今生には絶対に勝てない戦いというのが確かに存在するのだなといたく感じたのでした。
以上。