机を漁っていたらメモ書きが出て来まして、それは確かにかつて自分が勉強した痕跡なのですが、その用語に関して何も覚えていないんです。
確かに勉強はした、でも全く身についていない。そう気づかされる時がよくあるんです。
ホントに一度じゃ覚えられないですね。
面倒臭くて苦しいときもあるけれど、復習がいかに大切であるかを今一度ここで記しておくことにします。
さて、今日は高難度の故事成語を持ってきました。
肯綮に中る(こうけいにあたる)
急所を突くこと。また、的を射たアイディア。
”肯”は骨を包む肉のことで”綮”は筋肉と骨の結び目のこと。
切り離しにくい部位でも、上手く肯綮に刃を入れることができれば、それができるということ。
中国の戦国時代、魏の国の庖丁(ほうてい)が、主君の文恵君(ぶんけいくん)に牛の解体について説明をしたという故事が元。『元史』
また、”庖丁”は「調理場で働く男」のことを意味するが、これが転じて日本では料理に使う刃物のことを言うようになった。
椽大之筆(てんだいのふで)
見事な文章。名文。
椽大之筆を揮(ふる)うなどと使われる。
”椽”とは「たるき」と読み、屋根板を支える太く長い木材のこと。
つまり、椽のような大きな筆で書いた立派な文章。
晋の時代、椽のような大きな筆を授けられる夢を見た王珣(おうじゅん)は、何か筆をふるう大きな機会が近々あるのではと思っていたところ、武帝が崩御し弔辞などを堂々とした文章で書いたという故事が元。『晋書』
舐犢之愛(しとくのあい)
子を溺愛すること。
”犢”は仔牛。つまり”舐犢”は親牛が子を舐めまわすこと。
現代で使うとしたら、、自分の子供への愛情を卑下していう時だろうか。
類義語:
慈母敗子(じぼはいし)
母親が甘すぎると子は放蕩に育ってしまう。
老婆心(ろうばしん)
行き過ぎたありがた迷惑な親切心。
葦巣之悔(いそうのかい)
心配で身の置き場がないこと。
水辺の葦に棲む鳥が、風が吹くたびに巣が揺れて不安に苛まれるという故事から。
葦末之巣(いまつのす)とも。
頤を解く(おとがいをとく)
大笑いすること。
”頤”とは顎のこと。
顎の緊張がゆるみ、アッハッハと大きく口を開けて笑うようなイメージだ。
日本語仙人:「頤を叩く」というのもあるが、これは盛んにおしゃべりをする人を罵っていう言葉じゃ。混同せんようにな。ほっほっほ。
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以上、高難度の故事成語でした。
まったく関係のないことですが、少し前までずっと不眠気味だったのですが、最近はよく眠れます。なぜでしょうか。