恋愛結婚が主流になったのはつい50年ほど前のことで、それ以前の時代、特に江戸時代までは、縁談や親の決めた結婚が一般的でした。
特に身分制度が定められていた時代は、階級が異なる者同士の恋愛は基本的にNGでした。
そうとなれば当然、秘密裏に交際することがあったわけでして。
当時の社会情勢や性別間の法的ルールなどが恋愛に与える影響は大きく、現代と比較して異なる点は多いものの、いつの時代であれとどのつまりは我ら動物界脊椎動物門哺乳網霊長目ヒト科ヒト族ヒト。考えることはそう違わないわけです。
後の事を考えず、心惹かれ夢中になったかと思えば突然に百年の恋も冷め、かと思ったら焼け棒杭に火がついたり…。
かなわぬ恋に打ちひしがれて、詩文をしたためたり恋の歌を吟じたり…。
そのような思いはその数だけ結晶となり、今でもなお到る所に点在しているわけですね。心情・情動を表す言葉というのも例外ではなく、その数は枚挙に遑がありません。
そのうちの幾つかを厳選して紹介しようというのが今回でございます。
面映ゆい(おもはゆい)
面と向かうと気恥ずかしい。
顔を表す「面」と、古語”映ゆし”を原形とする「映ゆい」から成る言葉。褒められたりして照れ臭い時の心情がこれにあたる。また、恋愛において好きな相手と目が合わせられないような時にも使われる。
”映ゆし”とは、照り輝いていて、眩しい様子。
好意の対象に目を向けると、瞳孔が開くという研究結果があります。それ故、眩しく映ると。
記憶の中では好きな人とのエピソードは光り輝いて再生されがちですが、あながち”思い出補正”とも言い切れない部分もあるようです。
首っ丈(くびったけ)
(特に異性に対し)心を奪われ、夢中になっている様子。
首っ丈というのは、足から顎下までの部分。
そこまでどっぷりと沼に浸かりこんでいて、なかなか抜け出せない状態。また溺れかけの危機迫る状況になるまで夢中になっていて気づかない様子。
横恋慕(よこれんぼ)
既婚者や恋人がいる人に対し、密(ひそ)かに恋心を抱くこと。
横(=端、脇)から恋慕うという単純なつくりの言葉ですが、初めて聞いた方は是非とも覚えて帰ってほしいと思わせる何か美しいこの三字熟語。
”中国の源氏物語”とも呼ばれる古典小説『紅楼夢(こうろうむ)』が出典か。※
これに登場する薛宝釵(せつほうさい)が、彼女の心情を表現するために使われた。
薛宝釵は、自分が想いを寄せる相手である主人公の賈宝玉(かほうぎょく)が、彼女の親友である林黛玉(りんたいぎょく)を愛していることを知る。
(※出典は根拠の不確かなものです。ご参考程度に。)
秋風が立つ(あきかぜがたつ)
男女間の愛情が冷める。
秋は”飽き”と掛けられることが多く、移ろいゆく心情を表す手法として和歌などでもよく用いられる。
わが袖にまだき時雨の降りぬるは君が心に秋や来ぬらむ
『古今和歌集・詠み人知らず』
(私の袖に秋でもないのに時雨が降ったのは、あなたの心に飽きが来たからなのだろうか)
また、秋という季節は夏の蒸し暑さがなくなり、枯れ葉が舞ったりと寂寥感を抱きやすい要素も持つため、恋愛感情が冷めることも連想される言葉だといえます。
「女心と秋の空」「男心と秋の空」
毛嫌い(けぎらい)
わけもなく嫌うこと。
理由は明確ではないが、何かしらの原因によって嫌悪感を感じることを表現する言葉。一般的に言う「生理的にムリ!」というやつ。
「毛嫌い」の「毛」は、サラブレッドの毛のことで、繫殖牝馬が特定の種牡馬を嫌うのは、毛並みで判断しているからではと考察した厩務員が発端、という説があるが、俗説にすぎず、語源は諸説あり。
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以上、男女間の恋情を表す言葉でした。
”男女間”と表記しましたが、恋情があれば同性間においても使える言葉だとは思います。
公然的に認められるものではありませんでしたが、昔から同性愛に関する作品というのは存在していたと考えられます。
実際に、『拾遺和歌集』には男色についての歌が収められていたり、『源氏物語』では女性同士の愛をテーマにしたエピソードもあります。
機会があればそれらについても取り上げてみたいですね。
それでは、さようなら。