暦は師走へと移りました。
今年ももう終わりだねという声が聞こえてくる中、ほぼ同時期に話題に上がってくるのは「忘年会」のことでしょう。日時が決まり、会場も押さえられ、出欠を取り始めるころでしょうか。
「忘年会」とは読んで字のごとく、その年の苦労を忘れてしまおうという狙いで行う宴会のことです。特に会社で行われる忘年会は、社員への労いという意図があるようです。
ところが、程度の差はあれ会社の忘年会に行きたくないと思っている人は、半数近くに上るともいわれています。苦手な人と同席したくない、上司に気を遣うのが嫌だ、余興をやらなくてはいけない、そもそも酒が飲めない…。
慰労が目的の催しが、却って心労を加速させてしまうというのです。本末転倒もいいところです。
「今日は無礼講で。」
忘年会での常套句です。無礼講というのは、地位や身分を抜きにして楽しむことが趣向の宴会です。
ところが実際には地位や身分の障壁は取り壊すことはできず、相変わらず礼儀作法が求められることになります。
さて、前置きが長くなりましたが、お互いの年齢差を抜きにして親しく交われる友人のことを「忘年之友(ぼうねんのとも)」と言います。
出典は『後漢書』、禰衡(でいこう)の伝記。
「禰衡逸才有り、少くして孔融と交わる。時に衡未だ二十に満たず、而うして融は已に五十、忘年の交を為す」(禰衡は飛び抜けた才能があった。若くして孔融と親交があった。禰衡はまだ二十歳にも満たなかったが、孔融は既に五十歳だった。二人は忘年の交わりを結んだのだ。)
禰衡は三国志でお馴染みの奇人、名手。孔融(こうゆう)は儒教の祖の孔子の末裔(まつえい)。
歳が三十も離れているにもかかわらず、それを忘れてしまうほど孔融にとっては禰衡は尊敬に足る人物だったというわけですね。
忘年だ無礼講だといっても、会社の上下関係はそう簡単に取り払えるものではありません。会社の忘年会はあくまで仕事の一貫だと割り切って臨むのがよろしいかと思います。
本来の目的で忘年会をするならば、忘年之友(ぼうねんのとも)と共に。
それでは、さようなら。