慣用句とは、2語以上の単語が合わさって、特別な意味を表す言い回しの事です。
例えば「油を売る」という慣用句は、”油”+助詞の”を”+”売る”と分解され、そのままの意味だと、ただ商品として”油を売る”ということですが、かつて髪油の行商人が世間話をしながら油を売っていたというエピソードから、仕事中に仕事をせずに怠ける事、無駄話をして時間をつぶすことという意味を表します。
ことわざと一緒くたにされがちですが、ことわざは教訓や風刺が含まれていたり、実生活で起こりうる事象を端的に表したものですね。
慣用句は知らず知らずのうちに口にしているほど身近なものですが、それ故に、どうしてこの言い回しがこのような意味になるのかという疑問すら抱かないことだと思います。
ただ、慣用句に含まれる言葉の意味を知れば、より深い理解ができると思うので、最後までご覧いただければなと思います。
匙を投げる(さじをなげる)
手の施しようがなくなり、諦める。
ここでの”匙”は、医者が使う調剤用の匙(薬さじ)のこと。
これを投げてしまうということは、治療の見込みがないと診断し、患者を見放すことである。
「筆を投げる」という慣用句も存在します。
「筆を投げる」とは、書くのを途中でやめること。
文筆家の間で頻繁に(?)使われますが、筆にも”絵筆”がありますので、画家の絵描きにおいても同じことを表せると思います。
さて、このまま筆を投げずに書き進めましょう。
(実際には筆を握らずキーボードをたたいているのですが。)
途方に暮れる(とほうにくれる)
打つ手が無くなり、困り果てる。
”途方”とは、手段や手立てのこと。”暮れる”は見通しが暗くどうすればよいか分からなくなること。
私は幼いころ、遣り切れない気持ちになった時に発する「トホホ…」という感嘆詞との混同で、「トホホに暮れる」だと思っていました。でも、もしかしたらトホホの語源は本当にこれかもしれん。
切羽詰まる(せっぱつまる)
追い詰められて、どうしようもできない状態である。
”切羽”とは、刀の鍔(つば)の裏表に装着される金具のこと。主な役割は鍔の固定。
これが詰まると、鞘から刀が抜けなくなるので、逃げることも戦うこともできない状態になる。
度肝を抜く(どぎもをぬく)
ひどく驚かせる。
”肝”とは、肝臓をはじめとした内臓の総称。それらに心が存在していると昔から言われているため、「精神」や「気」のことを表す。”度”は強調の接頭語。
その”肝”を抜かれるわけですから、心ここにあらずといった状態にしてしまうということですね。
食指が動く(しょくしがうごく)
ある物事に興味を抱く。
”食欲が湧くこと”がもとの意味。
”食指”とは、人差し指のこと。人差し指は、食べ物をつまむ時によく使う。
語源は古く、出典は『春秋左氏伝』。
鄭(てい)の子公(しこう)が、君主の霊公(れいこう)[~前605年]の屋敷に向かう途中、自分の人差し指が動くのを認識し、ご馳走にありつけることを予見したという故事から。
「触手を伸ばす」という似た響きの慣用句があります。
欲しいものを得る為に行動を起こしたり対象に働きかけることを意味しますが、これとの混同なのか、”食指を伸ばす”という誤用がよく見られるので、注意。
溜飲が下がる(りゅういんがさがる)
わだかまりが消えて気持ちがすっきりする。
”溜飲”とは、胸焼けや胃酸逆流などの胃の不調による症状。
上がってきていた胃液が下がるわけですから、むかつきも無くなります。
消化不良だったものが、スッと解消されるということですね。
「溜飲」と表記するのが一般的ですが、「溜」という字は常用漢字外のため、新聞などでは”留飲”と表記されているのを見ることがあります。
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今回は第一弾ということで、わりとよく耳にする慣用句をとりあげました。
同シリーズは残り二回を予定しています。
以上。
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