「幸い」という言葉は、「さく」(=花が咲く、盛る)+「はひ」(=『延ふ』、長く続くこと。)から成っています。
花が咲き誇り、それが長く続く状態。それを昔の人は「幸い」としました。
花の一生と言えば、芽が出て、つぼみがでて、花が咲き、やがて枯れ、土に戻る。
といった具合ですが、これは即ち(すなわち)人の一生そのものであると幾度も引き合わされてきました。
絶世の美女と言われた小野小町は、「花の色は移りにけりないたづらに~…」と、老いを迎えて落魄れていく花と自身とを重ね合わせて詠(うた)い、浄土真宗の祖である親鸞聖人は、「明日ありと思う心の仇桜~…」と、突然の嵐で散る花(桜)と人の命を較べてその無常さを詠いました。
古い書物や作品に触れる折、”花”とあれば、「人生」「はかなさ(=果敢無さ・儚さ)、無常」といった意味合いで使われることが殆どです。より深い解釈ができるので、覚えておかれるとよいでしょう。
今回は花の一生(芽が出てから土に還るまで)を麗しい(?)大和言葉で順に紹介します。
萌す
きざす。現代の言葉でいう「発芽」。
スタートラインに立ち、満を持して事にあたろうとする状態。
「萌(も)えいづる春」のように、”萌”には「草木が芽生える」「物事が起こり始める」という意味がある。
オタク文化での二次元キャラに対する「萌え」とは用法と意味合いが異なる。故事つけられなくもないが…。
綻びる
ほころびる。
愈々(いよいよ)つぼみが開きそうな状態。
”解(ほど)ける”の古語、”解(ほ)く”から来た言葉だとされている。
やわらぐ、ほどける、ゆるむ、と、緊張から緩和への移行を表す。
花笑む
はなえむ。
花(とくに百合の花)が咲くこと、(花のような)美しいほほえみ。
百合の花が咲く姿を微笑みにたとえたなんとも大和言葉らしい麗しさのワンフレーズ。また、華やかな笑顔のことを花にたとえて言う。
固いつぼみが綻びて満面の笑みへと移り変わる様子。日常でなかなか使うことはないでしょうが、日本情緒を多分に含んだ言葉といえます。覚えておいて損はないはずです。
病葉
わくらば。
虫害や病気によって変色した葉っぱ、夏の青葉に混じって赤や黄に変色した葉っぱ。
体調の変化などで、様子がすっかり変わってしまった状態。夏の季語である。
難読漢字にもよく登場。”病”に「わくら」という読み方はないので、病葉で「わくらば」という熟字訓として覚えておくがよいと思われます。
”邂逅”(=思いがけずめぐりあうこと)のことを、「かいこう」の他に「わくらばに」と読んだりしますが、語源は謎。和歌や俳句においては、”病葉”を邂逅の意味で用いる例があります。
別(わく)るれば、病葉(わくらば)、邂逅(わくらばに)
体の不調で周りと比べてすっかり様変わりしてしまったが、それがきっかけで別れた人と思いがけずまた巡り合うことになる…、そんなストーリーが思い浮かびます。
根に帰る
ねにかえる。
枯れる、命を落とす。
他郷を流離う者も、骨を埋める場所は元の根である。落葉帰根(らくようきこん)。
生涯を終えると、元居た場所に戻るという古くからの日本人の死生観がよく現れています。
「根の国に帰る」ともいう。「根の国」とは日本神話に登場し、異界・冥界のことを指す。
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花の一生は人の一生。
和歌や俳句を嗜む際、その対比を詠んでいくとなかなかに面白いものです。