どんな言葉にもその語源があります。ですが、これが絶対確実な語源だ!とは言い切れず、候補が幾つもあり様々な”説”が騒がれているものもあります。
中には「いや流石にそれはねえだろ。」と言いたくなるような由来もあるのですが、案外その”説”に多くの支持者が居たり、よく分析してみれば確かにそれが語源なんじゃないかと思ったりするものです。
「故事成語」と呼ばれる言葉群は、故事が出典になっていますから、語源から言葉が生み出されているようなものなのですが、習慣的に何気なく使われている、所謂「慣用句」と呼ばれるもの(体の一部分を用いることが多いあれら)は、語源がはっきりしないものが多いです。
ところで、「…は、~に通用しない説」「~など存在しない説」みたいな定型句をネットでよく見かけるのですが、これは水曜日のダウンタウンという番組の企画が発端、ということで間違いない、ですよね。
…さて、今日は「おしゃかになる」という言葉を取り上げてみました。この慣用句は語源に複数の候補があります。
~目次~
「おしゃかになる」とは
物が破損するなどして役に立たなくなること。製作途中で失敗して出来損ないになってしまうこと。
また、博打で持ち金がすっからかんになることも言う。
漢字表記はもちろん、「御釈迦になる」。
御釈迦とは仏教の開祖の釈尊(仏陀[ブッダ]、ガウタマ・シッダールタ)のこと。敬意を表す接頭語”御”が付いています。
いったい何故、御釈迦さんがでてくるのだろうか確実なことはわかっておりません。ご存じのとおり、「あの御釈迦様のように、ご立派になられた!」という意味ではありません。
様々な語源
1.仏師の手違いから始まった説
仏師とは仏像を専門とする彫刻家のこと。阿弥陀如来像の作成を依頼されていたが、手違いで釈迦如来像を作ってしまったことから。
彫刻の最中に失敗して、全く別のものになってしまう…、ということはないと思うのですが、おそらく注文の行き違いなのではないかと。ただ、それだと違う意味になってしまいますね。
2.”御釈迦様=仏様”から、死ぬことを表す説
死ぬことを「仏(ほとけ)になる」といいます。御釈迦様は仏様ですから、物がダメになることを「仏になる」の代わりに「御釈迦になる」といったのではといわれています。仏になると言ってしまうと、人が死んだみたいで縁起が悪いから(?)。
3.江戸っ子鋳物職人の江戸訛りから来た説
江戸訛りは、”ヒ”が”シ”と聞こえます。とある鋳物職人が、火が強かったために失敗し、「火(シ)が強かった」と言ったことから、釈迦の誕生日といわれている「四月八日(しがつようか)」に掛けて「御釈迦になる」といった説。
関連語句
おじゃんになる
物事が途中でダメになってしまうこと。
これにも主にふたつの説があります。
一つは、江戸時代、火事が鎮まったことを半鐘(はんしょう)を「じゃんじゃん」と二度叩いて鳴らして知らせたということから生まれた説。
もう一つは、同じく江戸時代に、物事が途中でだめになるという動詞の「じゃみる」と言う言葉があり、それが変化したという説。
お陀仏
死ぬこと。またそこから、物事が途中で失敗しだめになること。
これは、臨終のときに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えることから出てきた言葉。
因みに、阿弥陀仏=阿弥陀如来(あみだにょらい)とは、大宇宙の諸仏の先生にあたる存在。極楽浄土の主。
阿弥陀に被る
阿弥陀様に関連してこちらの語句も紹介。
「阿弥陀に被る」とは、(たとえば麦わら帽子などの)全方向につばのある帽子を、前側を上げて斜めにかぶること。
阿弥陀仏の後光がその様であることから、このような慣用句ができたようです。
まとめ
・「御釈迦になる」という言葉の語源には、3つの説がある。
1.仏師が手違いで「釈迦如来像」を作ってしまった。
2.人が死ぬことを表す”仏になる”を言いかえた。
3.江戸っ子鋳物職人の隠語「”火が強かった”=”四月八日だ”」から。
・似た意味の言葉に「おじゃんになる」「お陀仏」などがある。
どの説も、「ああ、なるほどね」と納得できる部分もあるのですが、それぞれにツッコミどころがあるのも確か。
個人的には、「火が強かった」=「四月八日だ」説が面白いので、これの推しメンになろうかと思っています。