二か月の間を置いての続編更新でございます。
前回のは↓
適切なタイミングで適切な諺(ことわざ)や格言を引用し捲し立てる…、そのまま相手を圧倒してしまうような勢いをつけることができますが、カッコいい感じに口から出たその大それた言葉がもし間違った使い方をしていたとしたら…?
可愛さ余って憎さ百倍とは言いますが、カッコよさ余ってダサさ百倍も世の中の理(ことわり)としてあるわけです。きっと目も当てられない状態になるでしょう。
安定択は”難しい言葉は極力使わない”なのです。
…それを言ってしまえば、このブログの存在意義自体があやしくなってしまいますが。
だとしても、日常生活で普通に諺を使いたい!そんな方々へ、くれぐれも使い方を誤らないようにこの記事を読んでおくことをお勧めします。それではどうぞ。
櫛風沐雨(しっぷうもくう)
雨に沐(かみあら)い、風に櫛(くしけず)るをちぢめた四字熟語。
髪の毛がびちゃびちゃになるほど雨に打たれ、櫛で梳かれるように風に吹かれるような過酷な環境下での苦労。
悠々自適(ゆうゆうじてき)だの晴耕雨読(せいこううどく)といった様な、俗世を離れたストレスフリーな自然派生活のことを表しているわけでは無い点に注意が必要だ。
鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
鶏口となるも牛後となるなかれをちぢめた四字熟語。
鶏口(=小規模ではあるが組織のリーダー)になるのは良いが、牛後(大組織の一員ではあるが下っ端)になってはならないという意味。
独立を目指して起業をする人などがこれを座右の銘にしていそうですね。
出典は「『史記』蘇秦列伝」。秦(しん)という国が一強の時代、秦はほかの6つの小国に領地を譲ることを要求します。これに対して、決して秦の言いなりにならず各国が連合し抵抗すべきだと説いた蘇秦(そしん)の喩え。
秦(しん)を蘇(よみがえ)らすという名前の人が、秦(しん)という国に敵対するというなんとも紛らわしい故事です。
盛年重ねて来らず(せいねんかさねてきたらず)
「盛年」というのは盛りのある年頃(=若い年頃)のこと。それは再びやってくることは無いので、無駄に過ごしてはならぬという陶淵明(とうえんめい)の訓戒。
大意は字面で想像がつきますが、盛年を”青年”と表記してしまうと誤りになる。
若者繋がりで、「若木に腰掛けな(わかぎにこしかけな)」という諺も紹介。
若木は折れやすいことから、腰掛けてはならぬということ。
若者はあまり頼りにしない方が無難であること。また、若者に無理を強いるなということ。
大奸は忠に似たり(だいかんはちゅうににたり)
「大奸」とは悪巧みに長けた人間の事、「忠」とは裏表がなく真心をつくす態度。大悪党ほど忠臣のふりをしているものだということ。
同じような語気で「下手の考え休むに似たり」というのがあります。こちらは、知識のないものがいくら長考しても、何もしていないのとほとんど変わらないという意味。
「似たり」の解釈で意味がガラリと変わってしまうので注意。
人間到る所青山あり(じんかんいたるところせいざんあり)
ここでの人間の読みは「じんかん」。”じんかん”と読む場合は「世の中、世間」という意味。青山の読みは「せいざん」。”せいざん”と読む場合は「骨を埋める場所、死に場所」になります。
「人間」を”にんげん”と誤読してしまっても大意は変わらないので、それが間違ったまま覚えてしまう一因だと思います。
世の中には行く先々どこにでも死に場所があるので、郷を離れて大いに活動すべきだという意味。
同じ表記でも読み方によって意味が異なる熟語は故事成語などでよく見られます。他にも知りたいという方は下の2記事もご覧ください。
漢字と漢語で意味が異なる熟語 その1(「多少」「勉強」など) - 日本語仙人の難しい日本語
漢字と漢語で意味が異なる熟語 その2(「人間」「大人」など) - 日本語仙人の難しい日本語
今回は以上です。
さようなら