おひさしぶりでございます。
お隣の中国では新型肺炎を引き起こすウイルスが蔓延しているようで、大変なことになってますね。
患者が1000人を超えたと先ほどニュースで聞いたのですが、実際のところは公表されている十倍も二十倍も患者数が居ると思われます。
ちょうど悪いタイミングと言いますか、人が大量移動するこの旧正月という時機に流行してしまいましたね。これをきっかけに世界中で蔓延、なんてことにならなければよいのですが。
中国以外にも香港や台湾、ベトナム、シンガポールでは、旧暦の正月にあたる旧正月をより盛大に祝う風習があるみたいです。旧正月を「新年」と捉えている国がアジアには多いようですね。
さて、日本ではついちょっと前に新年を迎え、西暦も2020年になりました。
時の流れはだれにも止めることはできません。
本日の主題は、人の年齢。暦が進むということは、我々の年齢も数字が増えるということです。
年端もいかぬ(としはもいかぬ)
まだ一人前とは言えない幼い年齢であること。
「年歯もいかぬ」と漢字表記をすることもできる。
年齢の「齢」も歯偏ということがわかるように、この歯という字には年(とし)という意味があります。
一般的には二十歳を過ぎると「年端もいかぬ」という表現をされることはなくなるでしょうが、二十代の人間が「人生に疲れた」だの「精力が枯れてしもうたわ」などと発言をしていると、「年端もいかぬ若造が何を抜かしおる!」とどやしつけられてもおかしくないでしょう。
馬齢を重ねる(ばれいをかさねる)
無駄に歳をとっていること。
自分の高齢を謙遜していう時に使われる。
同じ用法で「馬」を使ったものに、「犬馬の労」というものがあります。
こちらも、せいぜい自分の労力は犬や馬程度のものですが…、という謙遜の語。
「犬馬の労を厭(いと)わない」は、「微力ながらお力添えさせていただく」とほぼ同様の意味として使えそうです。
(出典:http://inulog.net/)
薹が立つ(とうがたつ)
(主に女性の)盛りの時期が過ぎる。
何じゃいこの漢字はということで、拡大表示で載せておきます。
薹
「薹」とは、花をつける茎(=花茎[かけい])のこと。蒲公英(たんぽぽ)や彼岸花を思い出して欲しいのですが、ほとんど葉をつけず、茎が花をつけています。
野菜などの花茎が伸びてしまうと、硬くなり食べごろではなくなってしまうことから、盛りが過ぎるという意味で使われ、それが人間の年齢にも用いられるようになりました。
歌手の森高千里さんの曲に「薹が立つ」というのがあります。世代の方はよく知っておられるかもしれません。初めから最後まで話が一向に進展しない堂々巡りの歌詞が特徴です。「この”薹が立つ”って一体何なんだろう。」と、これを聴いて初めて意味を調べた方も当時は大勢いらっしゃったのではないでしょうか。
春秋に富む(しゅんじゅうにとむ)
若く、将来性があること。
「春秋」とは、年・歳月のこと。春夏秋冬を略して「春秋」。
それに富んでいるわけですから、残り多くの歳月を持っていて可能性に満ち溢れているという意味になります。
日本経済新聞の一面コラムも『春秋』という名称ですね。
出典は司馬遷の『史記』。(抜粋)
皇帝春秋富(皇帝は若く将来性があるが)
未能治天下(まだ天下を治めることはできない)
若い人は未来があってよろしいねというのはご尤もなのですが、オジンやオバンになってもできる事は幾らでもあると思います。寝たきりになって、後は死を待つのみという方にとっては、まだ動けるうちは無限の可能性があると思うでしょう。
過去から学ぶというのは大事ですが、過ぎ去ったことを思い返すのも程々に、”今”を全力で生きるのが一番なのだといつでも気づかされます。
今日はこの辺で。
それでは、さようなら。