日本語仙人の難しい日本語

漢字の読み書き、常套句、ことわざや格言、間違えやすい言葉―。中・上級レベルの日本語を紹介。

六十還暦、七十古希、七十七喜寿…、百八、百十一、百二十は?

 あけましておめでとうございます。

 

そういえば、「新年あけましておめでとうございます」という表現は、明けるのは旧年であって新年ではないとか、賀詞が重複していて相応しくないなどという意見がよく見られるのですが、広く一般的に使われている決まり文句なので特に誤用と認定しなくてもいいんじゃないかなあと思います。

 

…と言うだけでは中々に賛同を得られないかもしれません。

では、”新年”のあとに読点を入れて、「新年、あけましておめでとうございます」としてみましょう。

 

そうです。おそらく言葉が省略されているのでしょう。ではどんな言葉が切り捨てられしまっているのかと言うと…、

新年(を迎えました。旧年)あけましておめでとうございます。

こんな感じではないでしょうか。

”あけまして”は、”新年”という語ではなく、省略された語に掛かっているという枢(カラクリ)を読み解くことが、この文言の真意に行き至るための鍵になるのです!

(とまあ、私の勝手な解釈でしかないのですが。)

 

とはいっても、この新年の挨拶というやつは、何の気なしに綴っていればよろしという圧倒的多数派の人々によって毎年大量生産されているのです。一文字一文字に目を光らせている連中は、残酷にもこの現実を早々に味わわなければなりません。

正しいだの間違っているだのと必死に喚くよりも、多少の鈍感力というものを身に着けることが我々には必要なのかもしれません。

 

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西暦も2020年と東京オリンピックの年になりました。早いもんですね。

新年を迎える度にこの数字も大きくなっていくわけですが、それと同時並行に人も年齢の数が増えていくことは避けられません。

「歳をとる」というのは、多くの方がマイナスのイメージを持ってしまっていることと思います。確かに、長く生きていると、体の不調やそこから来る問題など色々と不便なことが増えて来ます。ですが、悪いことばかりではありません。

ここは今一度、「歳をとる」という言葉を頭の中からサッパリと取り払って、「歳を重ねる」と言い換えてみませんか。同じ意味でも印象がかなり前向きに変わってこないでしょうか!!!

…さて、六十歳を過ぎると、節目となる年齢でそれぞれお祝いごとをします。(しないかもしれませんが。)

六十になれば、暦が一巡したということで還暦のお祝いをし、

七十になれば、昔はここまで生きるのは稀だったのだと古希のお祝いをし、

七十七でここまで生きられてハッピーだと喜寿(”喜”の草書体が「㐂」)のお祝いをし…、

それ以降もご存じの通り、八十で傘寿、八十八は米寿、九十は卒寿、そして九十九歳を迎えることができれば、”百”から一を引いた白寿のお祝いすることと、その称号を得ることができるのです。

 

実はこの先にも続きがあり、百八歳になれば茶寿(”茶”の草かんむりが二十、そのしたが八十八、足して百八)、百十一歳皇寿(”王”の上の棒を抜いて十一、それを”白”にのせて百、足して百十一)を祝います。

そして大還暦。年齢は言わずもがな、暦を二巡した百二十歳のことです。

ここまで来れば、人類史上滅多にない長寿として崇められることは間違いないでしょう。そこで一筆、『人生百二十、古代稀なり』と。

七十で「古希」などとする時代錯誤の認識をぶち壊し、歴史を嘲笑い、静かに生涯を閉じます。

 

それが私の目標です。

 

以上。

 

本年もよろしくお願いいたします。一層気合をいれて更新して参ります。

それでは。