” 人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹もでる ”
暴虐の限りを尽くした悪代官が、物語の終盤に圧倒的な力で制圧される…。
お決まりのプロットで人気を博した、幼気(いたいけ)なガキから耄碌(もうろく)ジジイにまで認知度がある『水戸黄門』という時代劇の主題歌(『ああ人生に涙あり』)からの投稿でございます。
この曲の歌詞の一節に、" 後から来たのに追い越され "とあります。
いや待てよ。後から来たのであれば、追いつく(もしくは追い抜く)ことはあっても、追い越されることは無いのでは、と私は幼心にも深い疑問を覚えたのでした。
未解決のまま頭の隅に置き忘れておよそ四半世紀、特にこれといったきっかけがあった訳ではありませんが、ふと歌詞を思い出し、後れ馳せながらも気づいたのです。
そう、逆説の「のに」と捉えていたのが抑々(そもそも)重大な勘違いであり、”後から来たのに”「の」とは準体助詞「の」であり、「後から来たの(=人)に追い越され」という意味になります。
そう、「汚いのを取り除いてくれ」の「の」とおなじ用法の「の」なのです。
さて、この後には " 泣くのが嫌ならさあ歩け "と歌詞が続きます。
「後から来た奴に追い抜かれたくないならば、歩き続けろ」という意味になるわけです。
単純明快ではあるが軽視できないメッセージですね。
それでは、さようなら。