自分にも当てはまる欠点なのに、それに気づかず(もしくは棚に上げて)他人の欠点を嘲笑う様子を”目くそ鼻くそを笑う”といいます。有名な表現ですね。
似た意味の諺(ことわざ)に、五十歩百歩、団栗の背競べ、蝙蝠(こうもり)が燕を笑うなどが挙がります。ところが、これらは低レベルの者達が僅かな優劣を競い合うという意味になるのに対し、このクソ共のバトルは低レベルどころかマイナスにしかならない者同士の争いです。
それらよりは、猿の尻笑い(自分の尻の赤さに気づかない猿が、他の猿の尻の赤さを笑う)がこれに最も近い表現じゃないかなあと思います。
ところで、どうして目くそが鼻くそを笑ったのでしょうか。
目くそより鼻くそのほうが汚いから…?うーん、目より下に鼻が位置しているから…?いや。
実は、鼻くそにはそれ以上に不当な扱いを受けているという現実があります。
鼻くそを笑った目くそには、いわゆる”俗語”ではない他の呼び方があります。目垢(めあか)、目脂(めやに)、また医学用語で眼脂(がんし)などがあり、今回は観衆側に回っている耳くそも耳垢(みみあか、じこう)などの呼び方があります。
一方で鼻くそは…「hanakuso」という呼び方しか存在しないのです…。液状なら「鼻汁(はなじる)」と呼んでもいいのですが、固形ならこの呼び方はできません。
肛門から出るダーティーキングこと大本命の「クソ」でさえ、大便だのウンだの様々な呼称があり、憚れながらも幼児達の間で強靭な語り草として日々トピックを提供してくれる力があります。
さて、それを知った情の深い民は、鼻くそのその余りにも悲しい境遇を哀れみ、間もなく「鼻くそを救う会」という慈善団体が発足させるのです。正常な世の流れです。
そこでは、”鼻垢”と書いて「びこう」と読む新しい言葉を世間に定着させようという積極的なキャンペーンを実施するのです。
ところが、同じ”びこう”と読むものに、鼻孔(鼻の穴のこと。)、鼻腔(鼻の奥の空間。)というものがすぐ近くに存在してしまっており、結局は涙ながらの主張は受け入れられないのでした。
無 念 。
セクシーでスマートな鼻くその新名称、どうか皆様も考えてみてください。
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そういえば、目には「目頭」と「目尻」がありますが、目尻ではなく目頭から目くそが出ます。腑に落ちないですね。