こんばんは。これで10記事目となりました。
本日2月4日は立春。二十四節季のはじめとされています。
古今和歌集の中に、”梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな” という短歌が遺されています。作者は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。
立春から矢を射るかのように速く月日が流れるように思える。という意味です。まさに矢のごとく率直な思いを詠った一首ですね。
【梓弓は「春(張る)」「射る」の縁語。同時に「春(張る)」の枕詞。】
以下、「時が経つのははやい」ことを表す言葉です。
烏兎怱怱(うとそうそう)
月日が経つのが慌ただしく早いこと。兎走烏飛(とそううひ)とも。
「烏兎(または兎烏)」は年月のこと。月にウサギがいて、太陽(=日)にカラスがいるという中国の伝説から。つまり「月日」。「匆匆」とは慌ただしいこと。
荘南傑[そうなんけつ]『傷歌行』の句から。
カラスと言えば、日本では『古事記』の神武東征(東=日の出づる方角)で神武天皇を導いた「八咫烏(やたがらす)」が有名ですね。
歳月人を待たず(さいげつひとをまたず)
時間は人の都合とは関係なく刻々と過ぎていくものである。
陶潜の『雑詩』出典。原文は「歳月不待人」。
『雑詩』の中には、他に以下の言葉が遺されています。
得歡當作樂(歓を得ては当に楽しみを作すべし)
及時當勉勵(時に及んで当に勉励すべし)
つまり、「嬉しい時は大いに楽しめ。そして勉強しろ。」という事です。
時には遊んでも良いと陶潜も言っています。窮屈なのも生きづらいですからね。
光陰矢の如し(こういんやのごとし)
時の流れは弓から放たれた矢のように速いことのたとえ。また、(矢の軌道のように)過ぎ去った時は二度と戻ってこないという戒め。
「光陰」は年月や時間のこと。光は「日」、陰は「月」。つまり「月日」の比喩表現。
中国の唐の時代に原文「光陰如箭」が用いられている書物が幾つかあるものの、原典は不明。
まさに定番。タイトルを見て真っ先にこの一文が思い浮かんだのではないでしょうか。
少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
若い人もすぐに年を取ってしまう。そして学ぶことは難しい。
『偶成』が原典。作者は朱熹とされて来たが、詳細は不明。一寸の光陰軽んずべからずと続く。
若い人にとっては重すぎる説教ですが…、あまりにも正論。早いうちから勉学に励んでいたほうが、いろいろと得なのは確かです。
とっくに”少年”時代は過ぎた。…いえ、今からでも遅くないと思います。
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以上、「時が経つのははやい」ことを表す言葉でした。
すべて紹介しきれませんでしたが、他にも幾つかあります。
時間は限られていて、しかもあっという間に過ぎていってしまいます。ただ、焦っても良いことは無いです。ローマは一日にして成らず。桃栗三年柿八年とも言いますし、まずは目の前にあることに集中して長期的に取り組むことが重要だと思います。
一刻千金とまでは言いませんが、一寸の光陰軽んずべからずぐらいの気持ちで日々を過ごすのが良いかと個人的には思います。
それではまた!
※「はやい」の漢字表記は、時間が関係するなら「早い」ですが、時の流れが、という場合には「速い」となるようです。難しい。曖昧なので敢えてひらがな表記のタイトルにしました。